大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

前橋地方裁判所桐生支部 平成6年(ワ)134号 判決

原告兼亡柴田重信承継人

柴田幸信

柴田嘉信

右両名訴訟代理人弁護士

小野山宗敬

浅井利一

被告

医療法人社団東郷会

右代表者理事長

東郷庸史

右訴訟代理人弁護士

山岡正明

釘島伸博

田中英正

右訴訟復代理人弁護士

斎藤匠

佐々木弘道

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告らに対し、それぞれ金二八二二万二三七九円及びうち金一六六二万三七〇〇円に対する平成六年二月一一日から、うち金一一五九万八六七三円に対する平成六年一〇月二一日(訴状送達の日の翌日)から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、被告が開設している恵愛堂病院(以下「被告病院」という。)で柴田初子(大正一五年一月一日生、以下「初子」という。)に対し行なった胆嚢摘出手術の診療に過誤があったために初子が平成六年二月一〇日に劇症肝炎による肝不全により死亡したとしてその相続人である柴田重信(夫、以下「重信」という。)と原告ら(子)が被告に対し、不法行為ないし債務不履行に基づき、損害の賠償を求めていたが、訴訟継続中の平成八年一二月二三日重信が死亡したので、原告らが同人を法定相続分(各二分の一)の割合で相続し、本訴を承継して承継分を含めた損害賠償を請求した事案である。

二  本件の経過

1  初子は、平成三年ころ胆石が発見されて手術を勧められたけれども、同五年までは通院加療を続けていたものの、内科治療は限界であると説得されて主治医の紹介により同年一一月二九日被告病院を訪れ、翌三〇日に手術目的で入院し、胆石症と慢性胆嚢炎の合併症と診断されて術前検査を経たうえ、同年一二月六日全身麻酔による胆嚢摘出手術を終了した(乙一、被告代表者)。

2  初子の術後経過は、平成五年一二月一五日まで良好であったが、同月一六日に38.6度の発熱が認められたため、被告病院の医師(以下「被告医師」という。)は、同日直ちに肝機能検査を実施した(乙一、承継前原告重信、被告代表者)。

その結果は、GOT・GPTのいずれも正常値の範囲内の数値を示し、また、体温も一時は四〇度に達したが、解熱のための薬剤投与により同月一九日には36.2度になり、次第に平熱に近いものに落ち着いていった(乙一、被告代表者)。しかし、初子は、この期間吐気や胃痛、倦怠感を訴え、同月一七、一八日の両日は病室の暖房機の故障事故も重なったこともあって、いらいら感を募らせて退院を希望したため、被告病院では一旦同月一九日に二一日の退院を予定したけれども、術後DIC(胆嚢造影)検査の遷延により遅延して結局同月二二日に退院するに至ったが、初子は、同月二〇日に家族への架電で「この部屋だとストレスがたまるので退院する。」と告げ被告病院に対する不快感を表明する状態であった(乙一、承継前原告重信、被告代表者)。

3  平成五年一二月二五日ころ初子に黄疸が現れ始めて次第に増強し、嘔吐も伴ったので、重信が知人の斎藤憲一医師に相談したところ、入院を強く勧められ同月二九日再度被告病院に入院した(乙二、七、承継前原告重信、被告代表者)。そして同日初子と被告の間に被告が初子に対し適切な治療行為をなし、初子がその対価として報酬を支払う旨の診療契約が成立した(被告において明らかに争わない。)。

4  平成六年一月七日には初子について群馬大学医学部付属病院第一内科医局長長嶺医師の診察を受けた結果、被告医師は、長嶺医師から劇症肝炎として治療するよう助言され、同月一二日には重信ら家族にも劇症肝炎に移行した旨告げられた(乙二、被告代表者)。

5  平成六年二月五日にはそれまでなかった意識障害(Ⅱ度)が出現し、羽ばたき振戦が認められたので被告医師において血漿交換を施行すべき時期と判断してその旨重信らに説明し、同月六日に血漿交換の設備のある前橋赤十字病院へ搬送した(乙二、承継前原告重信、被告代表者)。

6  しかし、初子は、平成六年二月一〇日午前五時一〇分肝不全、呼吸不全、腎不全により死亡するに至った(乙二病理解剖依頼表)。

三  本件の争点

1  被告に原告らが主張する次の義務違反、過失があったか否か。

(一) 麻酔または薬害による劇症肝炎の院内発症の過失

被告は、平成五年一二月六日の手術に際し、初子に対し、麻酔により、生命、身体を侵害する事故が発生しないようその実施にあたっては常に最高度の注意義務(債務)を負っていた。しかるに、被告は、右義務の履行を怠った。また、平成五年一二月一六日に初子に薬物性肝障害が発生したのであるから、被告は、起因薬物の中止や急性期には安静、食事療法、肝庇護剤を投与すべきなのにこれをしなかったため、初子について麻酔または薬害による劇症肝炎の院内発症をもたらした。

(二) 劇症肝炎の発見が遅れた点で被告には誤診がある。

被告は、平成五年一二月一六日に初子が四〇度近い高熱を発した時に、これが劇症肝炎の発症を示す兆候であったのにこれを感冒と誤診した。

(三) 検査義務の懈怠と誤診

被告は、平成五年一二月一七日から同月二二日まで初子につき肝機能の検査を怠ってその肝障害の発見が遅れたため、退院させ、早期発見により重症になることを避けられたにもかかわらず、右時点で発熱、食欲不振、嘔吐、黄疸等の劇症肝炎の兆候を見逃した。

(四) 治療処置の過誤または懈怠

初子に劇症肝炎が発症した平成五年一二月一六日から同月二二日までの間感冒に対する投薬以外の処置を施さなかった点に過誤がある。また、同六年一月七日以降も、本症に有効な処置である血漿交換の治療をやっておらず、右は、処置の懈怠である。

(五) 転送義務の不履行

被告は、平成五年一二月一六日に発症した初子の劇症肝炎について、同六年一月七日には長嶺医師により劇症肝炎に移行したと判定されており、同月四日ころ執った保存的治療法(G―I療法)が奏功しないと判断できる同月一七日以降の可及的早期に血漿交換の治療に踏み切ることが適切であり、被告病院でこれが実施困難な場合には実施可能な他院へ転送すべきであった。それにもかかわらず、被告はこれを同年二月五日までしていない。初子の劇症肝炎が亜急性で、発症後五四日生存したことを考えると、早期の血漿交換治療により救命の可能性があったことは否定できず、被告において血漿交換を適期に実施しても初子の死を避けられなかったとの特段の事情を立証しない限り、血漿交換治療により救命できたものと推認すべきである。仮に、右被告の過失と初子の死亡との間の相当因果関係を肯定することが困難であっても、右過失がなければ初子の死が生じなかったかもしれない蓋然性がある以上、初子の治療の効果を得るという期待権が侵害されたといえるから、これを理由に被告に対し、慰謝料を請求できる。

2  損害

(一) 初子に生じた損害

(1) 逸失利益 七二四万七四〇〇円

(2) 慰謝料 二〇〇〇万円

(二) 重信に生じた損害

(1) 治療費 一七九万九〇二五円

(2) 葬儀費用 九四四万八八〇八円

(3) 慰謝料 五〇〇万円

(三) 原告らに生じた損害

慰謝料 各三〇〇万円

(四) 弁護士費用

原告らにつき各三四七万四七六二円

第三  争点に対する判断

一  争点1(一)、(二)について

平成五年度における劇症肝炎の症例のうち成因別にみると、その七九パーセントが肝炎ウィルスによるものであるが、その一〇パーセントは、近時広く用いられている麻酔薬のフローセンや抗生物質等の薬物によるものであり、残り一一パーセントは、原因不明であると報告されている(乙四五)。初子が劇症肝炎に罹患していたことは当事者間に争いがなく、またその原因がウィルス性のものでないことも争いがない。肝炎の一類型として自己免疫性肝炎といわれるものがある(乙三七、五〇の3と同じ。)。右肝炎の判断基準(乙三七)に照らし、初子の病態を検討すると、同女の平成五年一二月三〇日の検査でHCV―PAは陰性、同六年一月四日の検査でIgM―HAは陰性、同月五日検査でIgM―HBc、HBsはいずれも陰性、同日のIg―G値が二七五〇mg/dlで基準の二五〇〇を超えて自己免疫性肝炎診断基準の主要所見五項目のうち三項目を満たしているが、二回目の入院後は血清トランスアミナーゼ活性の検査はなく、一月七日の検査でLE細胞現象は陰性で少なくとも右主要な所見の一項目を満たしておらず(乙二)、さらに、抗ミトコンドリア抗体(AMA)及び抗平滑筋抗体(ANA)の同月五日の検査結果の判定は、いずれも陰性であったこと(乙二)が認められるので、初子の発症した肝炎が自己免疫を原因とするものであるとは断定できない。

次に、初子の場合は、原因として薬物が疑われるとの見解(証人杉原國扶)もあるのでこの点について勘案する。

初子の平成五年一二月六日の胆嚢結石摘出手術の際にフローセンが使用されたが、その前三か月以内に同薬が初子に投与されたことはなく(米国の一九六六年のナショナル・フローセン・スタディーによると、フローセン麻酔後の術後の肝壊死発生例は一万症例につき1.02例であり、他の麻酔法全体の0.96と比較して差は認められず、一九七二年でもほぼ一万症例につき一例と考えられているが、フローセンを用いた手術の短期間内の繰り返し後に発生する肝壊死は、他の麻酔薬のみまたは他の麻酔薬と交互に使用されたグループに比較して発生率が約三倍高くなったと報告されている。乙三四、三六)、同日の使用量も微量といえる(初子に使用した麻酔薬は笑気二四〇l、フローセン二二五ml、酸素四五〇l等である。乙一)うえ、術後約一〇日後の一二月一六日に出現した高熱(フローセンが原因と考えられる劇症肝炎の約七〇パーセントは術後七日以内に、約九〇パーセントは術後一四日以内に発症し、劇症肝炎には高熱を伴うことがあると言われている。乙三四、三六)は、劇症肝炎の場合にみられるように持続する(証人市田文弘)ことなく四日後の一九日にはほぼ平熱に戻っており、同月一六日施行の肝機能検査にも異常は認められなかったこと(第二、二、2及び後記二)を併せ考えると、右時期に初子が劇症肝炎ないしは肝不全といえる重篤な肝炎の病態にあったとは認められないし、フローセンが原因物質であることの可能性は完全に否定しきれないとしても、右初子のフローセンの使用頻度、使用量に照らすと、前記調査報告からみてその蓋然性は低いといわざるをえない。

さらに、フローセンの使用による肝障害の発生機序が十分解明されていないこともあって、短期間の反復使用や肝障害等の既往症以外に使用の危険性が一般的にいわれておらず、初子の場合、被告医師にフローセン投与を回避すべき義務があったとはいえない。

また、被告病院で初子に投与した薬物のなかに原因因子と疑われる薬物は見当たらない(証人杉原、同市田)。そうすると初子に発症した劇症肝炎の原因は、これを特定し、断定することはできないというほかない。

したがって、被告の原告薬物の除去義務の存在及び平成五年一二月一六日に出現した高熱から同日の初子の病態を劇症肝炎と診断すべきであったことを前提とする原告らの主張も理由がない。

二  争点1(三)について

原告らが主張する平成五年一二月一七日から初子が退院する同月二二日までの間被告が同女の肝機能検査を実施していないことは被告において争わないところである。

この点で被告に治療上の過誤があるか否かを検討する。

一において説示したとおり、平成五年一二月一六日に初子が発熱したことにより、肝機能の異常を疑診して行なわれた検査結果は、GOT一九U、GPT一一U(正常値はGOTが八ないし四〇、GPTが五ないし三五)、総ビリルビン値0.8mg/dl(正常値0.2ないし1.0)、アルブミン3.6g/dl(正常値3.7ないし5.5)であり、これを否定するものであったうえ、高熱も同月一九日にはほぼ平熱に戻った(乙一)。しかし、初子は、一六日からの高熱と脱力感、吐き気、胃痛による身体的苦痛に加え同月一七日、一八日の両日の病室の暖房機故障(乙一、四、被告代表者)による不快感から被告病院に対する不信感を強め、第二、二、2記載のとおりの言辞で右不信を表明したため、被告としては暫くの間術後の経過観察を望んだが、初子の右肝機能検査結果及び体温の推移を総合検討して同月二一日には炎症反応(CRP)等の検査を翌二二日にそれまで施行を延期していた術後胆嚢造影検査を実施するに止め(乙一、四、被告代表者)、初子の意思を尊重して退院を認めたものと推認できる。右時点で初子に劇症肝炎はもとより肝機能の異常を窺わせるような兆候があったことは証拠上認められず、そうであれば、一七日以降再度の肝機能検査不施行をもって被告の診療契約上の義務違反ないし過失と評価することは困難であるし、また、初子を退院させるに当たって、初子及び家族に劇症肝炎の発症を想定してその危険性を告げる注意義務の存在を肯認することもできない。

その他初子及びその家族を説得して入院を継続させる強い必要性があったとまではいえない。

なお、劇症肝炎の治療に当っては早期診断あるいは劇症化の予知による速やかな予防対策が肝要といわれていた(乙一一、五二)が、ウィルス肝炎から進展する劇症肝炎、特にC型肝炎の劇症化したもの(大半が亜急性といわれる。)に対しては早期に劇症化を予知して時機を逸することなくインターフェロンを用いた抗ウィルス療法をとることにより劇症化を阻止できるとの見解もある(乙二八)。しかしながら、初子のようにウィルス性ではなく、その原因を特定しきれない劇症肝炎については、確実に劇症化すなわち肝細胞の破壊を阻止しうるあるいは肝再生を促進させうる十分な治療法が確立されておらず、予後が極めて悪いといわれている現状(乙五四、証人杉原、同市田)では、たとえ早期に肝炎の発症を診断し、劇症化を予見したとしてもその後に施すべき的確、有効な治療法は臨床学上確定していないのであるから、結果的にみるなら、原因因子の特定できない劇症肝炎患者である初子の場合、早期の診断、予知は同人の救命にさほど重要な意義をもたなかったとも考えられる。

三  争点1(四)、(五)について

1  初子の二回目の入院時の経過は、第二、二、3のとおりであり、入院した平成五年一二月二九日に直ちになされた肝機能検査成績の結果では、GOTが三二九九U、GPTが二五九二Uと異常な高値を示したほか、コリンエステラーゼが三七七一IU/l(正常値五四〇〇ないし一三二〇〇)、アルブミン3.2g/dlを示していて血液の凝固能検査の結果も悪く、肝細胞の壊死を強く疑わせたうえ、総ビリルビン値が17.0mg/dl、直接ビリルビン値が10.26mg/dl(正常値0.4以下)と高く強い黄疸症状を呈していた(乙二、被告代表者)。

2  そこで、被告医師は、急性肝炎の疑いをもち、二度目の入院を勧めた斎藤医師が懸念した術後黄疸の原因の一つである遺残結石を平成五年一二月三〇日の超音波検査により否定できたので、初子が急性肝炎の状態であると診断して今後の劇症化を阻止すべく同日すでにG―I療法(肝再生機能に作用して肝細胞の再生を促進させたり、肝細胞壊死を阻止するといわれているグルカゴン・インシュリン療法。乙一一)の採用を念頭におき(乙二、被告代表者)、同六年一月一日から右療法を実施したが、同月四日に結果報告のあった一二月三〇日依頼の検査でPT(プロトロンビン活性)が一〇%(正常値八〇ないし一〇〇)と低値であったことが判明し、同日施行の超音波検査ではすでに肝萎縮傾向がみられた(乙二、七、被告代表者)。

3  また、被告は、平成六年一月七日肝疾患の専門医である群馬大学医学部付属病院第一内科医局長の長嶺医師に依頼して初子について診察してもらった結果、劇症肝炎としての治療すなわちG―I療法を継続すること、さらに免疫抑制作用により肝細胞壊死が進展するのを防止する効果をねらって施行されるステロイド療法(乙二四)及び血漿蛋白を補給するため(乙三七、五〇の3と同じ)新鮮凍結血漿(FFP)の投与と隔日のPT時間の測定を指示された(乙二、被告代表者)。

4  その後、初子のGOT、GPTの数値は、平成六年一月一四日ころから数値上は正常値に近い低値になったが、超音波検査により把握しうる肝の映像の大きさから同月一八日ころまでは肝の萎縮傾向が著明であり、以後は映像上の大きさに縮小化はなくなったものの、肝細胞の蛋白合成機能の検査である血液凝固能検査の結果、ヘパプラスチンが同月四日に一〇%(正常値七〇ないし一三〇)で、同月七日にいたっても一〇%と低値のままであり、以後、同月二五日まで測定がなく、新鮮凍結血漿の投与を継続していたにもかかわらず翌二六日の測定でも一五%であったこと(乙二)、また、プロトロンビン活性も三三%を超えることなく低値が継続していたこと(乙二)を総合すると、初子の右GOT、GPTの数値の逓減は肝の状態の改善を意味するものと解するより肝細胞の壊死によりこれらの酵素が減少したためであって、むしろ肝機能の低下を意味するものと理解できる。それにもかかわらず、右期間の初子の意識は、平成六年一月一三日ころ傾眠傾向が出現した程度で同年二月二日においても清明であり、同月四日に至るまで羽ばたき振戦はみられなかった(乙二、被告代表者)。ところが平成六年二月四日長嶺医師の診察で羽ばたき振戦の出現が確認されるとともに血尿(出血傾向)も見られた(乙二)。そして、翌五日には意識障害Ⅱ度と認められ、プロトロンビン値は二二%であったので、被告医師は、右時点で犬山シンポジュウムでの劇症肝炎の診断基準である「肝炎のうち症状発現後八週間以内に高度の肝機能障害に基づいて肝性昏睡Ⅱ度以上の脳症をきたし、プロトロンビン時間四〇%以下を示すもの」を満たしたと判断して劇症肝炎の診断を確定させるとともに血漿交換の必要性を認め、右治療のために、転医に踏み切った(乙二、四八、被告代表者)。

5  ところで、劇症肝炎は、肝細胞の壊死により肝細胞機能が極度に低下した状態で、解毒排泄作用及び蛋白合成機能も著しく障害されているといわれており、そのため劇症肝炎の合併症といわれる脳症の発症や多臓器不全へ進展して死に至る危険性が大きい疾患である(乙三七、五四、六三)。そこで、脳症や多臓器不全の発症を回避するため、一時的、人工的に右各肝機能を補助し、患者に肝再生が生じ、患者自身の肝機能で代償可能になるのを待つ治療法がとられるが、血漿交換療法も右の肝機能補助療法といわれる治療方法の一つであって、血漿中に増加した毒性因子を除去するとともに欠乏する蛋白成分(アルブミン、血液凝固因子等)を補う療法である(乙三七)。また、右療法の有用性は肝再生が生じるまでの補助の域を出るものではないため、頻回に施行しても、肝細胞機能の改善が現れなければ、右療法を継続して施行する意義は少ないといわれている(乙三一、三七)。

そして、劇症肝炎の標準的治療方法としては、血漿交換とともに、その治療効果に対する評価は必ずしも定まってはいないけれども肝再生を促進させる目的で施行する前記G―I療法が普及している(乙三三)。

6  被告病院ではG―I療法及びステロイド療法については、前記第二、二、4記載のとおり平成六年一月一日から施行したが、血漿交換は、その後一月以上施行しなかった。

血漿交換にいかなる時期で入るかについては、臨床医の間でも絶対的な原則はなく(証人市田)、初子の場合も、平成六年一月四日あるいは同月六日ないし七日には血漿交換に入るべきであったとか、同月一〇日ではまだ踏み切れず、同月一七日が右療法を適用すべき時機と考える(鑑定人市田文弘の鑑定結果、証人杉原、同市田)など初子の診察録を検討した臨床医の判断も区々である。

前記のとおり、血漿交換治療が肝細胞の壊死を来す劇症肝炎の治癒に必要な肝細胞の再生を促す効果をもつのではなく、主として汚染された血漿が脳をはじめ他の臓器に障害を及ぼして多臓器不全に陥ることにより死に至ることの予防ないし治療の有効性を期待するものであることから、劇症肝炎に罹患した患者の治癒に当たる医師は、血漿交換治療に内在する後遺症(循環血液量減少によるショック、肺炎・敗血症などの感染症、発熱・発疹・アナフィキラシーなどの免疫学的反応、新鮮凍結血漿の微小凝集物による肺水腫、坑凝固剤による凝血学的異常等の合併症。乙五四、杉原証言)の危険性と右効果とを比較衡量して右治療に入る時期を選択する実情にあり(証人杉原、同市田)患者の状態が異常であることが明確に把握できる肝性昏睡Ⅱ度の段階で血漿交換を試みるのが基本であるとの見解があり(乙五三、五四、証人市田)、またGOT・GPT値が一〇〇〇mU/dlを越え、プロトロンビン活性が六一%を下回り、総ビリルビン値が一〇mg/dlを越え、ヘパプラスチン値が三〇%を下回り、動脈血中ケトン体比が0.7を下回る等の検査成績を示し、かつ、意識障害のあることを開始基準とする見解もある(乙一一)。

結局、臨床医学の実践において、血漿交換適応時期は、相当の幅をもつものと考えられる。

7  右の点についての被告の主張は、初子のような亜急性の劇症肝炎にあっては患者が肝性昏睡Ⅱ度の段階で施行するのが妥当であると主張し、被告代表者は、これに沿う供述をするほか、平成六年一月一七日に重信に対し血漿交換が必要になる可能性とその場合の転院の必要性を説明したところ、同人が「見捨てるのか」と憤慨したため、右言動から、初子の家族は被告病院でできる限り治療することを希望しているものと解釈し、その後はできる限り被告病院での治療を決意した旨の供述をし、書面(乙四二)を提出している。

8  しかしながら、被告医師が平成六年二月五日に重信に対し、血漿交換治療の必要から右治療のため必要な専用機器と技術者が整っている前橋赤十字病院への転医を勧めたところ、同人は、直ちに承諾したばかりか当初被告が予定していた転院日である同月七日(月曜日)を待たず自ら前橋赤十字病院に働きかけてでも早期転医を希望する旨申し出、六日(日曜日)に搬送が実現した事実に徴すれば、被告医師が同年一月一七日に血漿交換治療及びそのための転医の必要性を初子の家族に説明した際にも同人らがその意味、必要性につき正確に理解できていたなら反対することはなかったことは推認に難くない。そして、弁論の全趣旨から、重信及び原告らが通常人よりかかる事項についての理解力に劣るとは到底認められないから、一月一七日時点での重信に被告代表者の供述するような言辞があったとしても、かかる無理解は、専門家である被告医師の説明不足にその原因があると考えられ、重信の右言動をして被告医師の血漿交換治療を決断する時期の遅れを正当化する理由とすることはできない。

さらに、被告医師が初子の診療に関与していた肝疾患の専門家である長嶺医師に血漿交換治療を実施すべき適期を相談したり意見を求めた節はなく、臨床医が初子の病状、経過を観察していたなら、通常血漿交換治療を採用するであろう時機に比して被告医師が決定した右治療の適応時機は遅いほうであったことが認められる。

9  ところで、初子の死後剖検による所見(甲四)によれば、初子の肝の状態は、「肉眼的には萎縮があり、全体的に胆汁のうっ滞が目立ち、割面では肝細胞の脱落を示す赤色の部分と胆汁うっ滞を示す黄緑調の部分が混在していた。また、顕微鏡的には肝細胞の脱落、壊死、出血があり、島状の肝細胞や細胆管の増生がみられ、肝細胞や細胆管内に胆汁うっ滞があり、わずかにリンパ球浸潤が認められたが繊維化は殆ど認められなかった。場所により、壊死、脱落の目立つ部分と細胞がやや残る部分が認められた。」というものである。したがって右時点の初子の肝臓の状態及び初子の死因に肝不全が掲げられていることに照らすと、初子が血漿交換治療をもっと早期に受けていて、肺や腎臓等の臓器の障害の発生をある期間防止できたとしても、右期間内に肝細胞の再生が順調に進行し、自らの肝機能が回復することを期待できる病態にあったとは認め難く、死亡の時期が平成六年二月一〇日より後になる可能性が残ると考える余地はあるものの、結局、重篤な肝不全の状態は改善せずに肝不全による死への転機をたどった蓋然性がより大であるといえよう。

してみれば、初子を救命できる可能性は、劇症肝炎のうち、発病から一〇日経過後に脳症を発現する亜急性型の救命率につき、統計的に報告されているのは八から一〇パーセント台であって、経験的にみても高々一五パーセントといわれ、初子のように亜急性の劇症肝炎で、なおかつ、劇症肝炎の原因要因がウィルス性のものではない場合は一層その救命率が低いこと(乙四五、四八、五七、六三、市田鑑定、証人市田)に徴し、右統計上の数値を上回るものとは認め難い。

10 以上の諸事情を考慮すると、被告医師においては平成六年二月五日よりももっと早い段階で血漿交換を実施することが臨床的観点から望ましかったといえるものの、右時機での実施は、いまだ治療担当医師の裁量の範囲内にあって、ここに治療義務違反ないし過失があったものと直ちには断じ難いうえ、本件で血漿交換を施行した時機が右のとおり臨床的観点から最適機といえないとの評価ができたとしても、同年一月一七日までの実施により初子の生存率に有意な差が生じたことを肯定することは困難であるといわざるをえない。

そうすると、争点1(四)、(五)について、原告らが主張する診療契約上の債務不履行ないし過失の存在を肯認することはできない。

四  以上の次第であって、被告医師には債務不履行または不法行為の責任原因となるべき過失がなく、被告に債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償責任を認めることはできないし、また、いわゆる期待権侵害に基づく債務不履行責任が生じる余地もないものであるから、原告らの請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がない。

(裁判官合田かつ子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例